高松城

別名 玉藻城  付近住所 香川県高松市玉藻町 現在 玉藻公園
2007/11/16 案内板アリ 日本城郭大系


生駒親正→
生駒一正→
生駒正俊→
生駒高俊→
矢島藩へ

水戸松平家
松平頼重→
松平頼常→
松平頼豊→
松平頼桓→
松平頼恭→
松平頼真→
松平頼起→
松平頼儀→
松平頼恕→
松平頼胤→
松平頼聰 
 高松城は別名玉藻城ともいい天正15年(1587)豊臣秀吉から讃岐に封ぜられた生駒親正が翌16年(1588)に工を起し、約3年の歳月をついやし天正18年(1590)に完成したが、その縄張り、つまり設計は当時有名な築城家黒田孝高(如水)がしたとされている。
 この高松城は全国にも珍しい水際城(一般には水城)の跡である。昔から「讃州さぬきの高松様の城が見えます波の上」と謡われていた。
 生駒家が4代54年と、寛永19年(1642)常陸国下館から松平頼重(水戸光圀の兄)が封ぜられて以来明治に至るまでの、松平家11代228年の居城として、讃岐の政治、経済、文化の中心地となったところである。
 城跡は昭和29年1月16日松平公益会から高松市が譲り受け、翌30年5月5日「玉藻公園」として一般市民に開放した。
 また、彦根城と姉妹城縁組をしています。これは、井伊大老の次女、千代姫が第11代高松城主松平頼聡の奥方として輿入れしたことから昭和41年8月15日結ばれたものです。
 城跡は天守閣や石垣、堀などが遺存し国の史跡指定となっている。

中世 港町「野原」が栄える
天正16 1588 生駒親正により高松城築城開始。
寛永17 1640 生駒高俊が出羽矢島1万石に転封。
寛永19 1642 松平頼重が東讃12万石を与えられる。
寛文10 1670 小倉城天守を模倣した天守完成。
寛文11 1671 東ノ丸・北ノ丸を新造。
延宝5 1677 艮櫓完成。
慶応4 1868 官軍に高松城開城。
明治17 1884 天守解体。
明治23 1890 松平家へ払い下げ。
大正6 1917 披雲閣完成。
昭和20 1945 高松空襲により桜御門焼失。
昭和29 1954 高松市の所有となる。
昭和30 1955 国史跡に指定。
                           

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